Interview: Saskia Diez

2015.03.03 / Interview by Kanae Hasegawa hataman touen corporation, interviews, saskia diez

2016 /」プロジェクトにデザイナーとして参加し、有田焼の窯元とともに新たな有田焼作品作りに取り組む一人、ドイツのジュエリー・デザイナー サスキア・ディーツ。シルバー、レザー、木など異なる素材を取り入れるサスキアのジュエリーはネックレス、ブレスレット、時には装身具にもなり、身に着ける人のアイデア次第で様々なスタイリングが可能。また、過去にデザインしたジュエリーの一部から新たなジュエリーのデザインを生み出す手法を取っている。そんなデザインを通して過去と現在をつなげるデザイナーのサスキア・ディーツにインタビュー。

 

- プロジェクト参加へのいきさつは?
2016 /」チームの一員であるダヴィッド・グレットリから声をかけていただきました。私はかねてより日本の文化とクラフトに憧れのような気持ちを抱いていたので、その日本で自分がモノを作る立場になることができるとは、なんて貴重な機会をいただいたのだろうと思っています。窯元の方たちとの協働作業ということで迷わず参加することを決めました。一人ですべて筋書きを立てて作るのとは異なり、共同で何かを作るということは、不確定要素が多い。手さぐりしつつも、関わる人はみんな完成に向けて自分の役割というものがあり、その中で精一杯の力を出そうとします。そこが魅力です。

 

- 窯元を訪れての印象をお聞かせください。

有田・伊万里で複数の窯を見学させてもらいました。印象に残っているひとつが畑萬陶苑の工場です。どれも息を止めてしまうくらい張りつめた雰囲気の中、30年間、釉掛けだけをやっていると言う職人はいとも簡単に釉薬を掛けるんです。実際は高度な技術を必要とする作業だと思うのですが、長年にわたる積み重ねから導き出された所作なんでしょう。

 

- サスキアさんの出身国、ドイツは日本の磁器に魅了された時の権力者が自国で磁器の生産を試みた国ですね。

そうです。18世紀に誕生したドイツのマイセン地方のマイセン窯やミュンヘンのニンフェンブルグ窯は日本の磁器を何とかドイツ国内で作りたいという権力者の取りつかれた夢から生まれました。有田焼の製造工程は昔と変わらず、今でも手作業の工程が多い。一人の職人がひたむきに絵付け作業に取り組む様は、実はドイツの窯でも今でもみられる光景です。優れたもの作りの現場はどれだけ時間が経っても似ているのだなという印象を受けました。その一方で私が以前、デザイナーとして関わったことのある同じくドイツの磁器ブランド、ローゼンタールは今では機械製造がほとんどを占めるようになっています。

 

- 磁器のデザインをされたことがあるということで、磁器のデザインをする際の方法論などあるのでしょうか?

2つのアプローチが考えられます。一つはイメージする形がすでにあって、その形に向かって技術を合わせていく方法です。もう一つは製造技術からアプローチする方法。窯元の持っている技術が魅力的でそれを生かすデザインを考えるというものです。そうした意味から、今回、多くの窯元を見学したことは大いに役立ちました。窯元の中には、スリップキャスト成形という型に流し込んで成型する方法と、射出成型方法を得意とするところがあります。こうした製造技術に最も適したデザインを考えるというものです。

 

- 最後に本プロジェクトへの意気込みをお聞かせください。

ジュエリーのデザイナーとして有田にどんな視点を持ち込むことができるか、自分でもわくわくしています。とはいえ、マイセンの磁器にもペンダントがあるように、ジュエリーもありですよね?伝統的なテーブルウェアだけでなく、 磁器の可能性を求めて 新しいジャンルへの挑戦に積極的な作り手とのコラボレーションがとても楽しみです。